コラム [ 日記 ]
2020.05.13
ウェイトトレーニングするときは気をつけて!2020.05.12
夏2020.05.11
柔術面白い技名シリーズ④「キス・オブ・ザ・ドラゴン」2020.05.10
「ブラジリアン柔術」という競技を人に説明するとき2020.05.09
オンラインクラスから気づいた事2020.05.08
オンラインやってみて2020.05.07
失くして気づくということ2020.05.06
GWどうでしたか?2020.05.05
GW気まぐれコラム42020.05.04
GW気まぐれコラム32020.05.03
GW気まぐれコラム22020.05.02
GW気まぐれコラム2020.05.01
岐阜新聞様より、無料オンラインレッスンを掲載して頂きました!2020.04.30
無料オンラインレッスン 開催中!2020.04.29
リベンジGW気まぐれコラム3
中学入学した私は2つの誓いを立てた。
・勉強をする
・強くなる
そして部活を選ぶことになる。
強くなるという事で武道場へ見学へ行った。
一階が柔道部、二階が剣道部という建物に入ると、当然最初に入ったのは柔道部だった。
中は練習中なのか、汗と春の暖かさも相まって、かなりムンムンしていた。
道場内では横四方で抑え込んでから逃げる限定の乱取りをしていた。
当時の私はというと素人。『何だか抱き合って暑苦しそう』としか思わなかった。
そして柔道場を後にして、剣道場へ行くと試合形式の練習をしていた。柔道とは違い、換気もしてあったせいか何だか涼しかった。先輩部員が私に気づくと面を外し、爽やかに部の雰囲気を説明するじゃないか。
私は剣道部に入ろうと心が揺れ動いた。そして、その心を持ち帰って帰路についた。
家に帰り、考えた。『剣道は竹刀がないと戦えない』、私の目標の強くなりたいとは単純な腕っぷしの強さも入っていた。当時の私の地区はヤンキーと言われる人種も多くいた中学校だったため、強さとは護身の意味もおおいにある。
考えた末、私は入部届に柔道部と書いて、正式に柔道部員になった。
入部した一年生は全員柔道経験なしの素人が7名、最初から柔道着を着るという事はなく、一年生はジャージ姿で3時間後ろ受け身をした。今まで家でゲームしかしてない運動不足の身体に、後ろ受け身3時間は相当堪える。
最初の練習を終えると、受け身のし過ぎで真っ赤になった手のひらの見つめて、何故か笑みがこぼれた。
なんだか生きている感じがしたのは覚えている。
そして私は更に目標を立てた。
・練習は休まない
・柔道で高校進学する
そこから私の柔道部生活、今になって思えば格闘技人生の幕を上げた。
続く。
GW気まぐれコラム2
小学校に上がった私はビックリした事があった。
何故か皆が勉強している。小学校は普通に学力がなくても、学年が上がっていく。
だから勉強なんて必要ないと思い、全く勉強をしなかった。
そして当時の私は思い通りにならないと暴力に訴えるところがあり、気が付いたらいつも孤立していた。
小学校では給食の時間に好きな子とグループを組んで食事を食べるというのがあって、いつも一人ぼっちになるから苦痛で仕方なかった記憶がある。
今だから言えるが、勉強は絶対やったほうがいいし、暴力は一番最低のコミュニケーションだ。
そして誰からも理解をされないという経験あってか、一人が好きだし、孤独にも強くなった。
そんな感じで私はとんでもない問題児だった。皆も私の事が嫌いだったし、私自身も自という存在が大嫌いだった。
そうなると自然に私はいじめに遭う事になる。無視をされ、時には暴力を振るわれ、上履きがないと思ったら便器に突っ込んである事もあった。
いつも震えて泣いていた。いつも人のせいにいしていた。
けど、自分ではわかったいた。自分に原因がある。そして全てにおいて弱い人間であるということを。
強くなりたい。変わりたい。自分を好きになりたい。
そう強く願い、私は小学校を卒業した。
続く。
GW気まぐれコラム
こんにちは!
HOPE広報です。
今日は私のルーツについてお話していきます。
私は愛知県半田市の床屋さんの息子として生まれました。
一人っ子だったせいかいつも可愛がられて、愛情を注いで育ててもらいました。
幼少期は兄弟がいないせいか、運動もそんなにするほうではなく、両親が働く住宅と兼用になっていた床屋さんの横にある部屋でいつも広告の裏に絵を書いたり、一人で歌を歌ったりした記憶があります。
当時はおじいちゃんが一緒に住んでいて、両親が共働きのこともあり、よくおじいちゃんの自転車に乗せてもらい色々な所に連れていってもらいました。
おじいちゃんの乗る自転車の背中越しに見える夕焼けが好きで、今でも鮮明に覚えています。
昔の人間らしくお昼間からお酒を飲んでいる。怒ると怖い。そんなイメージがありましたが、私が小学校に上がる前にガンで亡くなってしました。
亡くなった後に読売巨人軍から贈り物がよく届くので、何故だろうと思い、父に聞くとどうやら、おじいちゃんは戦前にプロ野球選手として巨人軍のショートをしていた事を聞きました。
生きている時におじいちゃんは一切そんなこと言わなかったし、自慢すらしなかったから驚いた記憶があります。
そんな血筋があるせいか、よく野球をやらないの?と言われそうですが、キャッチボールもトンネル、ボールも見えない。そこのセンスは全くなく。そもそも球技に魅力を感じなかった私の幼少期。
子供の頃から、とある感情だけが何故かあったのです。
『強くなりたい』と…
続く。
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