コラム [ 日記 ]

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DATE : 2016.03.22

御宮参り

お宮参り。友達や付き合いは接近したり離れたりはあるけど家族はいつも変わらない。
笑っていこうなんて言えないから、たまには笑っていこうぐらいが僕らは丁度良い。

DATE : 2016.03.20

ストライプ

『人は誰もが認められたい』
指導方針の主軸にあります。ストライプ授与の感動的な場面。僕のオンモードの顔も良いでしょ。笑
おめでとう。大人も子供もグッときます。

DATE : 2015.12.09

あれから一年

12月に入り、岐阜らしい寒い時期がやってきた。
僕は日々の業務が少しづつ詰まってきてあの日の出来事を忘れつつあった。
一年前、娘の病気により全てが一変していた。目指していた世界マスターズも急遽キャンセルをして仕事も休職して娘の病院へ毎日通っていた。岐阜医療センターの面会時間ギリギリまでいつも娘といた。妻が夜に来るのに合わせてバトンタッチをするように夜の外注でやっていた格闘技のレッスンに出かけていた。
時間になると「はい時間だよ!」娘のこの言葉が僕にとって合図だった気がする。

この頃はまだすぐに治るという思いもあって「道場をやる」という夢はまだ捨ててはいなかった。時間の合間を縫って名古屋市内の物件を探していた。目星のテナントを見つけて細川と道場の事も視野に入れて考えていた。
けど、不安は拭うことが出来ずに冷たい雨の降る中、名駅近くの松屋で夕食を食べていた事を思い出す。
細川には「なんとかする」そういつも言っていたけど、きっと苦悩して痩せていく僕を見て色々考えていただろう。


病状が進んでから岐阜から大阪大学病院へ転院した。その後も内科的な治療を続けたが良くなる事もなく簡易的な補助人工心臓を着けざる得ない状況になっていた。石川さんからは「カメラをやりなよ 教えてあげる」と言われ石川さんに薦められたNikonのD7100と35mのレンズを購入していた。

カメラを購入して家族を撮る。それは父として当たり前の事だろう。けど、それは楽しい瞬間や笑顔を撮るのが大体だ。石川さんから教えてもらったのはシャッター速度と絞りの2つ。柔術で言う足回しとエビみたいなもんだろう。
初めてカメラを手に病院に来た日に予期せぬ事が起きた。
面会中に補助人工心臓が「ピー」という音と共に停まった。先生と看護師さんのただならぬ雰囲気からただ事ではないのが容易にわかった。
どうやら補助人工心臓の挿入部に血栓が詰まり停まってしまった。すぐさま緊急で手術となり娘は手術室へ運ばれた。その時間はドラマのようにただ見守る事しか出来ない。そのドラマは結末がわからない出口のないドラマだ。泣きだす妻を慰める先生。ベッドごと運ばれる娘といった具合で呆然と見つめていたのを思い出す。
僕に残された選択肢は祈ることと写真を撮る事しかなかった。だから、その情景を一枚一枚カメラに収めた。

これが僕の初めての家族を撮った写真。
ただカメラを撮る時だけは全身が研ぎ澄まされた感じがした。少しの調整がどこか柔術と似ていると思ったぐらいだ。試合や勝負所と同じように魂を、心を込めて撮ったのは覚えている。

あれから一年。僕は名古屋で柔術道場をやるというプランは予想外の結末によって変更になり、今は自分の子供が近くにいていつでも会える岐阜市の寺田に道場を出した。そこには、あの頃夢を語り合った細川も右腕としている。白いマットの上でクラスを二面に分けていた時にふと隣を見ると当たり前のように細川がクラスをしていた。それを見た時に随分と遠くまで来たんだと思った。それと同時にこの光景は当たり前ではないのだと心に大きく刻む。
あの日があったから今がある。何年分の悲しみと喜びを味わった僕の顔は若干変わった。石川さんの顔もそうだけど僕もまぁまぁ苦労が顔に滲んだ顔になった。



今を生きる。それは今が良ければいいという生き方じゃない。先を見据えて希望を胸に今を生きるという意味だ。
『道場が娘になった』。聞こえはキレイに聞こえるかもしれない。けどね、いつも生き方に覚悟を持って生きている。そしてCARPEDIEM HOPEが皆にとって希望になれるよう前進するしかない。いつも優希とブラジリアン柔術は共にいるのだから。

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